
人生って自分なんです。
僕はこのブログを大事にしています。過去の記事を色々読み返すと、色んなことあったなと思うし、ずっと俺ってこうだなっていう自分という存在について再確認もしました。そして自分のブログの過去記事を色々見て思ったことをそのまま書き綴ってみた。
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2006年のブログ記事が宝物 人生何があるかわからない
2006年から記事が残ってて16年前に自分が思ったこと、体験してたことが残っててやはりブログは宝物だなと思った。最近たまに、引き寄せの法則はこうだああだと書いてるけど、当時からスピ系が垣間見れる自分が面白い。この16年前は不動産営業をしてて、がっつりブラック企業の会社員をしてて、全体の数字が悪かったりするとよく集合がかかるのですが、僕は、この重い空気は僕には関係ないんで!って、全体を眺めて傍観してたのを覚えてる。
会社員は2.3経験してきたけど、僕の価値観では、その仕事や経験にあまり意味はなくて、どういう視点で、どういう心の状態で、どう過ごしてきたかが今後の人生にも影響してて、最後に残るのは人で、出会いだけが大事なんだと思う。
この不動産会社を退職してからWEBの世界に突入していき、たくさんの引っ越しを繰り返してきた。当時から不動産ブログをしてて、お仕事が終わってから趣味で深夜に30分~1時間位やってたら、月に3万円~5万円の収入になってて、これは1日中やればすごい金額になるなとも思ったし、ちょうど不動産営業のお仕事も辞めたくなることが続いた。
30代、40代を生きてきて思うこと 自分の人生や価値観
今思えば、年齢的にも30歳くらいでこの頃、僕の30代、40代の人生なんて、全く想像できなかった人生を過ごしてきた。この先の未来への不安とか抱く人も多いと思うけど、人生はそんなに自分の思った通りには進んでいかないし、望んでることもイメージしてることも、自分の想像を超えた現実を誰も過ごすんだと思う。
今、想像できる未来への不安や希望、期待するのが悪いとかでなく、経験上、イメージしてなかった幸せや、想像してなかった悲しみや辛いこと、というのを色んな形で体験してきた。僕の場合は特殊かもしれないけど、北海道や宮崎に住んでるなんて想像にもなかったし、不動産業をまたやったり、騙されたり、今軽貨物の配送してるなんて全くイメージにもなかった。
宮崎にいた頃は、このままひっそり寿命を全うして、静かにこの世を終えたい。そんな風に思ってたし、生きていくのはもういいや…って本当に思ってた。ただただ、お母さんより早くなくなるのだけはダメだと思ってた。
それでも小さなことやささいなことをきっかけに、このままじゃだめだと何度も改めてた。生きていく価値というか、僕は今まで何度も、こんな時間が自分の人生にあるなんて!っていう感動できる時間が未来にあるなら生きたいけど、そうでないなら人生はいらないって思ってきたし、それは今でもそう思う。ただ痛いとか苦しいとかはイヤだけど。
僕ははっきり言って、人生は決まってると断言できる。みな、今までこうやって努力し続けたから、あきらめなかったから、今を手にした…というような光景をみるけど、それはそうなんだけど、人生は決まってる。何の根拠もないけど決まってるし、むしろ生かされて僕らは生きてるし、生きることに価値は全くない。
人生=自分 そもそもの自分軸、人生って自分
一言で言うと、人生=自分、よくスピリチュアルでは風の時代で…自分軸で…というのを一時期みたけど、僕はすごく批判的だった。そういうお話を聞くのはいいけど、そもそも自分軸、人生、自分なんよ。人の話を参考に…というのを否定しないけど、自分がどう思うのか、自分はどうしたいのか、自分はどう感じるのか、全部全部自分を生きたいなら自分が基準なんよ。スピリチュアル話を参考にしてる時点で自分軸からずれてる。これが自分軸、これだと他人軸…なんてみた記憶があるけど、全部自分自分自分、自分なんよ。自分が全てで、世の中、自分が想像する世界、人生を生きる。
僕は良くも悪くも自分の感じる感覚が全てで、圧倒的な自分軸がある
僕を知る大半の人は能天気なアホというか天然というか、何も考えてないやつ、単純にいつも笑ってる楽しいやつ、という見られ方をされてると思うのですが、それはほぼそうなのですが、全く揺るがない自分軸があって、この自分軸って自分の意志とか思いとかは別物で答えや感覚、この軸は宇宙にあるような自分軸がある。ま、言葉にするのは難しく感覚的なことですが、この僕の自分軸ってぶれないし、自分であって自分でないような感覚。ま、そういう感覚がある。
感覚的なことで言うと、人はよく、自分を他人と比較して、下げずんだり、いい気になったりするけど、そんな必要は全くなくて、自分という存在は人と比較できるものじゃない。自分という存在は自分にしかなく、誰もが自分という存在は唯一無二で、自分の人生は自分しか歩めないのと同じで自分以外と比較することに何の意味もない。
いい毎日も、辛い毎日もどんな時も自分を感じて自分を生きた方がいい。環境や出来事に矛先を向けるのでなく、そう感じてる自分の人生を感じる
今、人生に悩んでたり生きる希望がない人へ
何を言っても、何を見ても心に入っていかないと思うんだけど、僕は今まで辛い時、例えばそれが20歳の時、そのことについて「この悲しみや辛さは50歳の時には悩んでないし、感じてない」そう思えたことがあって、そう思えると、この辛さや悲しみはいつか終わるんだ。そう思えて楽になったことがあった。それは瞬間的にだけど、そう思えたし、誰もがこの感情や辛さって色んな形で、違う形で人であるいじょう、感じるものなんだ。
そう思って、閉じこもった自分が楽になったことがあった。
無理になんとかしようとする必要もないし、焦る必要もなく、そういう時期、そういう時を過ごしてると受け入れる。ほとんどのことは耐え難い、受け入れられないから苦しむ。
なんとかなる、大丈夫、そんな風な自分に持っていくには、その現実を一旦受け入れた方が早い時が多い。拒んでるからやってくる、捉われてるから引き起こすってこともあるし、現実は毎日変化してて、その変化してるこの世の中の影響と、自分の人生に起こる出来事も連動してて、そのままでいることの方が不可能だから。
生きてれば
必ず、必ず、
巡り巡って自分の望む幸せはやってくる
人生はそういう風にできてる