
今日は引っ越しの件でビビが最後にいなくなった稲沢の家に行ってきた。
ちょうど、ビビがいなくなって1ヵ月の時間が過ぎてたけど、ビビが最後に横になってた家に行くと、またその時のような時間に戻ってしまった。
色々こみ上げてきてすぐに退散するつもりだったけど、なかなか動けなかった。
この1ヵ月の間にも何度も思い出した。
思い出すと、止まらなくなって何度も泣いてもがいた。
でも仕事中だし、またすぐに通常に戻ってを何度も繰り返してた。
本当にもう会えないのかなとか、本気でそんなことを考えたり変なゾーンに入ったりもする。
何かの錯覚で家で待ってたり寝てたりするかもしれないとか、車の中になぜかいたりするかもしれないとか、、、死んだら会えないっていうこのルールに苛立ちがあったり、次元を超えたら違う世界のルールがあるかもしれないとか、ま、書かないけどおかしなこといっぱい考えてしまう。
この1ヵ月で2度も黒のコッカーを見た。
散歩してる犬はいっぱいいるけど、普段アメリカンコッカーなんてそうそう見ないのに。黒のコッカーってドキッってするくらいどれも似てるし。この黒のコッカーの画像を見ても、全然違うのもいるけど、もうビビじゃんっていう子もいっぱいいて。
僕が見たコッカーもビックリするくらい似てて。
この1ヵ月色々ビビがいたこと
いなくなったこと
色々考えたけど
その存在が、その存在にどれだけ与えられてたか僕も普通に飼い主が感じそうなことを思うんだけど、スピ的な話をするわけじゃないけど、ご飯を食べてたり、ただ寝てたりしてたビビを何度も見てきて、その都度可愛いいなぁって言葉に出さなくても思ってきて、何があるわけじゃないけど、何度もビビに頭をなでながらありがとねって言ってきて、
可愛いなとかありがとうを思って感じて自分の波動、エネルギーを、いつもそのようにしてくれてたことがビビの存在の全てのような思いになる。
ありがとう=自分
こんなことをどこか本気で思ってる僕に、ビビは奇跡的な必然という傲慢な思いにもなる。
ビビが亡くなった11月1日は、引っ越しの審査が通った日でもあって、サンルームがある部屋でビビのお部屋にしようと思って選んだんだけど、このスペースどうしようかなと。
引っ越しの多い僕は、お引越しってまた違う、新しい人生を送る感覚もあって、この家にビビが存在したことはないんだけど、今ここにビビがいないことに違和感しかなくて、もしこのサンルームにビビがいたらっていう想像ををやはりしてしまうし、帰ってきてビビがいないのが変でしょうがない。