
50歳になって、心境の変化がありすぎる
正直、50歳になった半年前は、ここまで生きてきた自分に感動してた。「いろいろあった」「よく生きてきたな」なんかそういう表面的な過去の体験、経験の思いが溢れてた。
今回、1つ歳をとって今までとあきらかに違う心境の変化があったので記録しておきます。
50歳は今までの人生や生き方を考えさせられる
今までは、1つ数字が増えた位の感覚で年齢というものをほとんど意識してませんでした。
50歳になった時も、48歳、49歳よりなんとなく50歳の方が響きがいいなと思ってたアホアホマンです。
住宅ローンを払い、会社に勤務して奥さん子どもを養うという、普通の50歳とは違うので、あまり真剣に読まないで下さいませ。
ただ今回の50歳を迎え、半年が経ち、今までと違う大きく心境が変化しました。
身体にいいものを食べたくなった
もう50歳、若くないという意識があるのだと思います。
心が健康だと身体も健康っていう何の根拠もない考え方をしてて、嫌々食べる身体にいいものは逆に不健康になるとまで思ってました。
それが、
出来ることなら、身体にイイと言われてるものを食べたい
そんな風に思うようになりました。
思うだけで、甘いものを毎日食べてラーメン率も高い毎日ですが。でも「これは身体にいい」そう言われるものを食べたいです。
20代を若いと思うようになった
「その辺の20代なら俺のがだいぶ若い」
40位までは、こんなおっさんっぽいことをよく思ってました。
なんか、パワーというか雰囲気やオーラのようなものが、死んでるように見える20代が多いと思っていました。それがたったこの半年で20代は基本若いと思うようになりました。
振り返ることが多くなった
今が輝いていないからとも言えますが。でも、そんな時期は今までにも何度もあったけど、
過去を感じる・過去を想う・過去に人生を感じる
こんな風に深く過去のことを思う実感はありませんでした。過去を振り返った時にしんみりしたり、その時の自分の思い、相手の思い、そういったものを深く感じるようになりました。
やり直したい過去で溢れてる
僕はたぶん、自己肯定感が異常なほど高かった。自分を完璧と思ってたわけではないですが、自分のことが好きだったり、自分を一番信用、信頼できたり、生まれ変わっても、自分以外ありえないほど自分好きです。
なのに、振り返ると間違った選択ばかりしてきたように思ってる。
大事な選択は、その時その時、真剣に考えて選択してきたつもりだけど、振り返ると後悔することばかり。
なぜ、その選択をしたのか、なぜその時そう思ったのか。年月が過ぎて今、50歳になって振り返るとそんなことばかり。
可能性で溢れてた
僕は望んだ自分に、なんにでもなれた気がする。誰もがそうなのかも知れないけど、
可能性しかなかった
自分に対してそんな風に思える。
漠然と何かにビビってたり、勇気がなかったり、謙遜したりそんなことがたくさんあった。気が小さかったり、控えめにしてることで、得たものもたくさんあるかもしれないけど、少しの勇気があれば違う結果になってたと思えることがたくさんある。
人を傷つけると一生背負うことになる
そんなに、言葉が汚いタイプではないけど、心ない言葉、相手が傷つくことを分かってて発した言葉が今まで何度もある。
こういうのって、相手のことを思うと一生自分から消えない。それは、小学生の時に弟に吐いた言葉ですら消えない。苦しんでる部下に追い打ちをかけるように吐いた言葉、泣いてる彼女にそのまま感情を吐き出したり、僕の為に言ってくれてる親に対して暴言を吐いたり…。
こういうのって、きっと、その人が感じた以上に苦しむことになる。
自分を疑ったり信用できないとダメ
これは、過去にこのブログにも書いたことがあるのですが、自分を疑ったり、信用できない分だけ、自分の手にしたい未来は手に入らない。
どうしても「そうしたい」と思えることがあるなら心配や猜疑心は一切いらない。
わかってて、できないことあるんだけど、自分を疑ってて手にできるなんて都合のいいことはない。スピ系なお話になってしまうけど、自分の発してる波動の現実を僕らは生きてる。
50歳になって生きてきて思うこと・感じること7つ
今まで誕生日を迎えても半年経ったら1つ歳をとったことなど忘れてきました。
なのに、今回50歳になって、すごく心境の変化があったので、記録しておきました。